オッぺケペー、オッぺケペー

「 隣は何をする人ぞ」知るも知らぬも「我関せず」と見て見ぬ振りは、当たり前、
そんな世の中に誰がした。お前だ、俺だと騒いでいるうちゃまだ救われる。
生死を前に無視するやから次から次に現れりゃ、この世は地獄か奈落の底か、人
に言えずに反省しても、誰も気付いちゃくれやせぬ。
生涯呵責を背負いつつ、消える日を待つオッぺケペー。
せめて、償いとばかりに優しさ振り撒きゃ、舐められる。それも修行と諦めて
胸の痛みを少しづづ軽くしたいと祈る思いも他人の幸せばかり。自分は
「野となれ山となれ」開き直ったその時に、見える悟りが幸せもたらすオッぺケペー。
他人の物を掠め取り生きる姿を見るにつけ、哀れと思う傍らで明日はわが身と
心痛める事もある。
幾ら財産手にしても所詮あの世にゃ運べない。資財を残せば親族・家族骨肉の
闘争招く火種に過ぎぬよオッぺケペー。
金の動きに一喜一憂みじめさが脳裏に浮かぶあほらしさ。俳人山頭火さえも
世を捨てて、生きるよすがに自由俳句をたしなめて、「飯のうまさが青い青い空」
と野原に置く身の自由を「草木塔」のタイトル「旅心」に書き記したり。
生きてる事の意味を探りて何百年。過ぎた年月重ねても得られたものの空しさが
神に両手を合わす祈りに代わり、今日の命に感謝を込めて明日の命をなお願う。
十円玉一つ賽銭箱に投げ入れて、「三億円の宝くじ当ててくれよ」と祈る人も
居る。受ける神様ずっこけて心身症になるわいな。
「人の噂も七十五日」と何を言われ囁かれても腹の立つのも抑えつつ、生きる
命の世知辛さ。
明日は嵐か台風か人生ばら色ばかりの道もなし。いばらの道こそ当たり前と
思える時にやってくる春風夜風の有難さ、身に沁みる世の情けこれぞ幸せと
心に宿る温もりが涙を誘うよオッぺケペー。(「詩楽麿」綴り方日記より)
by warau_1 | 2010-08-10 11:41 | ラップ文学